
![]() |
コティングリー妖精事件-ドイルも騙された!イギリス中を巻き込んだ妖精騒動-2002年02月19日(火) |
![]() |
妖精たちの色彩は少女たちによると、淡いピンク、グリーン、薄紫、藤色などで、その色彩は羽に出ている。肢体と衣服はほとんど白に近い。各々妖精は特色ある色をしている。
(アーサー・コナン・ドイル 『妖精の出現』より)
当画廊にいらしている、不思議なものがお好きな皆様なら、「コティングリー妖精事件」のことを耳にしたことがあるかもしれません。映画化もされましたから、ご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
今回のギャラリーは「世界で最も有名な不思議写真」を題材にしました。
1920年、二人の少女が妖精の姿をカメラに納めたというニュースで、イギリス中で大論争が巻き起こりました。彼女たちの名はエルシー・ライト(16歳)と彼女のいとこのフランシス・グリフィス(9歳)。場所はイギリスのヨークシャー地方、コティングリー村のはずれ。エルシーが父親から借りたミッジカメラで、撮影したのです。
最初はただのいたずらと思われていたものの、1920年になってその写真が、ある有名な小説家の元に郵送されたことから、以降60年間も続く論争になってしまったのです。その小説家とは、シャーロック・ホームズの生みの親としても有名なアーサー・コナン・ドイルです。ドイルは1902年にサーの称号を与えられており、医師としても著名な、イギリスを代表する文化人でした。
ドイルは心霊学研究にも熱心で、死後の世界など不思議な現象を信じていましたが、この写真をすぐに信じることはせず、トリック写真であるか否かの写真鑑定を専門家に依頼しました。その結果は、合成、二重露光などのトリックの跡は認められないとのことでした。また、知り合いの神智学者にも現地調査を依頼し、念を入れて調べ上げました。そして、ドイルはとうとう妖精の存在を確信したのです。
この写真がドイルのお墨付きで雑誌に掲載されると、賛否両論の大反響が起こりました。「非科学的だ」と批判する人、「ケルト神話は本当だったのだ」と絶賛する人、「トリックに決まっている」と息巻く人……。二人の少女は有名人となり、静かなコティングリーには観光客が押し掛けました。
この事件は1930年にドイルが死去すると次第に忘れられていましたが、また数十年後に世界中を驚かせることになります。1966年のデイリーエクスプレス誌に、エルシーの告白が掲載されたのです。
「あの写真は、私とフランシスの想像の産物です」
「妖精写真はエルシーが妖精の絵を描き、それを切り抜いてピンで止め、写真に撮ったものでした」
かくしてこの写真は「最も多くの人々を最も長い間だましたトリック写真」としてギネスブックに載ることになったのです。
結局妖精はいなかったのでしょうか? フランシスの娘さんがこう証言しています。
「最後の写真だけは本物だと母は言いました。草むらの中で動いたものを、母が慌てて撮ったそうです。母は、死ぬまで妖精を信じていました。そして、とても誠実な人でした。私は、そんな母の言葉を信じます」
あなたは妖精を信じますか?
関連記事
The Cottingley Fairies (English)
他の妖精写真は以下のサイトで見られます。
参考文献
A・コナン・ドイル
あんず堂
1998.7
シャーロック・ホームズの作者、コナン・ドイルが書いた、コティングリー妖精事件の顛末。映画の原作にもなりました。ドイル自身が妖精事件をどう思っていたのかが分かります。訳は、日本における妖精学の第一人者、井村君江先生です。
「幻想画廊」 (c) Maria Garcia, 2002-2008