さて、自分と瓜ふたつの人物と出会った際、その出会いがたんなる偶然を越えた超自然的な、あるいは精神病理学的なオーラに包まれているとき、相手は分身、二重身、ドッペルゲンガーなどと呼ばれる。
(『顔面考』春日武彦 より)
夜トイレに行ったとき……
「なにが怖いと言って、夜トイレに行ったときに自分自身が座っていて、ニヤリと笑うことほど怖いもんはないね」
昔友達が話していたことです。それを聞いてしばらくは、夜にトイレのドアを開けるときちょっとだけ身構えていました。私が座ってたらどうしようって。
もう一人の自分に遭遇するのは確かに怖いですよね。今日のお話は、自分の分身、ドッペルゲンガー(ドッペルゲンゲル)についてです。
モーパッサンもゲーテも出会っていた
ドッペルゲンガーとは、ドイツ語で「二重に出歩く者(Doppelgänger)」という意味です。自分自身にばったりと出会ってしまう不思議な現象で、世界各国様々な人がドッペルゲンガー現象を体験しています。
フランスの文豪モーパッサンは、1889年のある夜、部屋の中に入ってきたもう一人の自分に出会いました。彼は、当時書いていた『われらが心』の文章の続きをぺらぺらとしゃべり始め、モーパッサンはそれを書き留めていったと言います。
『ファウスト』で有名なゲーテは、公園の小道で馬に乗っている時に向こうから馬に乗ってやってくる彼自身を見ました。その男はすぐに消えてしまいましたが、8年後に同じ小道を馬で出かけた時に、ゲーテはその時の服装が、8年前に出会った自分とまったく同じ服装だったことに気づき驚きました。

ドッペルゲンガーを見た者は死ぬ!?
ロシアの女帝エカテリーナ、イギリスの詩人シェリー、小説家芥川龍之介もドッペルゲンガーに出会ったと言われています。しかも不気味なことに、このドッペルゲンガー現象を体験した者は、まもなく死を迎えるそうなのです。
21歳の時にドッペルゲンガーを見たゲーテは83歳まで長生きしましたが、ほとんどの人が分身を見たとたんにショック死したり、数年の後に亡くなると言われています。
オートスコピィという精神病
心理学では分身を見ることをオートスコピィ(自己像幻視)といい「自分の身体意識が外部に投影される現象」と説明しています。
精神科医の春日武彦が『顔面考』という本でドッペルゲンガーについて書いています。彼が紹介している藤縄昭氏の『自己像幻視とドッペルゲンガー』という論文によると、自己像幻視とは
・多くは動かないが、時には歩いたり、動いたりする。
・全身像は少ない。顔、頭部、上半身などの部分像が多い。
・黒、灰色、白などモノトーンであることが多い。
・平面的で立体感を欠き、時には薄く透明な姿で見えることもある。
……のだそうです。
そして問題なのは、彼らはそのドッペルゲンガーが、自分と違う年齢、顔、体格、性別であったとしても「あれは、自分自身だ」と確信していることなのです。
これは精神病の一種なのですが、どうしてちっとも自分に似ていないのに、自分の分身と思い込むのでしょうね。人間の心って不思議ですね。
なぜ自分自身を恐れるのか?
ドッペルゲンガーに出会った人々はみな驚愕し、恐怖を感じています。最初に書いた友人の話もそうですが、なぜ自分自身を見てしまうことがそんなに怖いのでしょうか? 自分は誰よりも「一番よく知っている人間」であるはずなのに……。
いえ、最もよく知っている人間だからこそ、「知らない自分」がいることに恐怖するのです。「自分なのに自分でない」という矛盾に頭が混乱し、心の底の本当の自分が具現化してしまうことを、無意識に恐れるのかもしれません。
図書館の怪
ところで私もドッペルゲンガーらしきものに会ったことがあります。それは私が中学生のときのこと。当時私はあるシリーズものの本を読んでいて、市の図書館に毎日通っては1冊ずつ借りて読んでました。
ある時から誰か知らない人がそのシリーズを読み始めたようで、私の読んでいない一つ先の本を借りていくようになりました。私が読み終えた本を返しに行くと、次の巻はあるもののその次の巻がありません。
つまり私よりも先にその本を読んで、ちょうど同じペースで返却して、次の巻を借りていくようなのです。あまり人気のない作家さんだしかなりの長編なので、いったい誰が借りているのだろうと不思議に思いました。市の図書館は手書きの貸出カードではなくバーコード式の貸し出しだったので、誰が借りているのか分からなかったのです。
その本を借りていたのは……?
そしてある日ついに偶然、その本棚の前に立っている人物を見つけました。私と同じ学校の制服を着た女の子で、本を取り出すとすたすたと本棚の向こうへ歩いて行ってしまいました。
私は好奇心から慌てて追いかけたのですが、彼女は煙のように消えてしまって見つかりませんでした。後になって背格好も髪型も私にそっくりだったのに気づきました。あれは私のドッペルゲンガーだったのでしょうか? その後ぱったりそのシリーズを借りる人はいなくなってしまいました。
まあ、私は今でもぴんぴんしてますから、ドッペルゲンガーではなかったのでしょう。でも今でも時々「あれ」はなんだったんだろう……と思い出すことがあるのです。
参考文献
『顔面考』春日 武彦
人間の顔に対する心理を、精神科医である著者が分析。マンガの顔、人面魚、ドッペルゲンガー、顔が認識できなくなってしまう病気などなど、顔をテーマにしたコラムが興味深いです。
ドッペルゲンガー探偵局※リンク切れ
あなたの分身が今何をしているか占ってくれます。あくまでお遊びです。
このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は19年前の、2003年12月16日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。