【刺青】生きているアート・海外で認められる日本の芸術(刺青・彫物)

その刺青こそは彼が生命のすべてゞあつた。その仕事をなし終へた後の彼の心は空虚であつた。

(『刺青』谷崎潤一郎 より)

スポーツジムでの出来事

先日ジムのプールで泳いできたんですよ。そしたら係の人がすっとんで来ました。何事だろうと思ったら、私の二の腕のところに描いていたタトゥ。彫ったものではなくて1週間くらいで消えるなんちゃってシールです。その日は包帯をぐるぐる巻いて泳ぐはめになりました。刺青(いれずみ)はどんなものでもダメなんですね。

刺青いろいろ

刺青と言ってもいくつか呼称があります。「文身(いれずみ)」「入墨(いれずみ)」「彫物(ほりもの)」「刺青(いれずみ・しせい・ほりもの)」。これらは一般に混同されることが多いのですが、それぞれ意味が違います。

「文身」は、成人や婚姻など儀礼多岐な目的で肌に加えられた身体装飾。「入墨」は刑罰として、罪人の肌に刻印されたもの。「彫物」は自ら好んで肌に施した装飾的なもの。「刺青」は明治時代にできた新しい言葉で、意味的には「彫物」と同じです。「入墨」を連想させるため、刺青をしている人は「いれずみ」と言われるのを嫌ったりします。

刺青の歴史

刺青の歴史は古く、刺青のある縄文時代の土偶が出土しています。刺青の習俗は南は沖縄から北はアイヌ民族まで広く分布しています。もともとは悪魔よけ、子孫繁栄、成仏祈願などの呪術的、信仰的な目的だったようです。

彫物は江戸時代に、火消し、籠かき、船頭などの肌を見せることが多い男達の間でブームになりました。お上はたびたび禁止令を出したのですが、彫物をする人は後を絶ちませんでした。そして明治時代になって、外国からの目を気にするようになった政府は厳しい罰則を定めました。

コンノート殿下のお気に入り

しかし明治政府の対策とは反対に、諸外国からは刺青は「生きている芸術」と絶賛されました。明治14年に来日した、英国の王族にあたる2人の海軍士官は名人による刺青を所望し、外交官が止めるのも聞かずに「昇り龍・下り龍」を彫って帰国しました。

また明治39年に来日した英国のコンノート殿下も「ぜひ彫って欲しい!」と要望しました。明治政府はあわてて名人を呼びだして、殿下の肌に不動明王を極秘で彫らせたとか。名画を焼き捨てたり、彫り師を捕まえたり弾圧してたくせに、まったく勝手ですね。

海外から評価の高い、日本の芸術

現在でも日本の刺青は外国で高く評価されています。外国の彫り師でわざわざ日本に修行に来る人や、日本で刺青を入れてもらう人もたくさんいるそうですよ。どうも情けないことですが、日本の政府は昔から審美眼がなくて、外国から絶賛されて初めて自国の芸術を認めたりするんですよね。困ったものです。

心が震える本物の刺青

ちょっと話題がずれましたね。ところでみなさん、実際に刺青を見たことありますか? 私は一度だけ全身にほどこされた和彫りの刺青を見たことがあります。

小さい頃父と行ったお風呂屋さんでのことでしたが、ものすごくびっくりしたのを覚えています。もちろんまだ年端もいかない子どもでしたから、「刺青=極道」みたいなことは知らなかった訳ですが、子どもでも十分衝撃を感じるだけのインパクトはありました。心がぶるっと震えるというか。恐怖、畏怖、感動、驚愕がいっぺんに押し寄せた感じでした。

偏見・身体への影響

刺青は日本が誇る芸術ではあるけれど、最初に書いたジムのエピソードのようにまだまだ偏見があります。健康的にも全身に施された刺青は肝臓を悪くするという説もあります。また墨が入っている部分は汗がかけなくなり体温調節が鈍くなることもあるんだとか。

また入れるときの痛みたるや、なんでも「切れないカミソリで切られるような痛み」だそうです。

私はフォトショップで合成するくらいでやめときます。

参考文献

『刺青』谷崎潤一郎

浮世絵師を目指しながらも、刺青師に身を落としてしまった青年『清吉』は、彼が美しいと認めた肉体を持つもの以外には入れ墨を施さなかった。ある日彼の目の前に、彼の長年の悲願だった完璧な美をもつ娘が現われる。その娘に無理矢理、女郎蜘蛛の刺青を施すのだが……。短いのですぐに読めてしまいますが、谷崎文学の官能と耽美が味わえる名作です。

このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は17年前の、2002年05月07日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。

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