ぼくはきみに近づくことも、手を貸すこともできないが、今後はきみのことを考える。たぶん、きみの夢もみるでしょう。
(『ゲイルズバーグの春を愛す』ジャック・フィニイ より)
バス停のベンチで
「もしもし、若いお嬢さんが夜中にこんなところで寝ていると危ないですよ」
麻理が目を開けると目の前に中年の警官が立っていた。ずり落ちたメガネをかけ直して辺りを見回してみた。どうやらバス停のベンチで座っているうちに眠ってしまったらしい。怪訝な顔の警官に、ちょっと疲れていて──などとしどろもどろで言い訳して、麻理は逃げるようにその場を去った。
立て看板に涙
その日麻理は失恋した。
もう何度目だろう。告白する度にフラれていた。もう21歳になるというのに、麻理は未だに男性と手をつないだこともないのだった。家に帰る途中、バス停で座ってからの記憶がない。疲れて寝てしまったのだろう。
あのお巡りさんに変な女と思われただろうか?
顔が赤くなり、つい早足になった。無理して履いた9センチのヒールがぐらつき、麻理はよろめいて電信柱に掴まった。電信柱にくくられたピンク色のどぎつい立て看板が目に入った。アニメ顔の女子高生がにっこり微笑んでいるイラスト。横に「やさしくしてあげる」と書いてある。
「私だってやさしくされたいよ」
口に出すと涙がにじんだ。
初めての失恋
最初の失恋は高校3年生だった。
生徒会長をしていた麻理は、予算委員会で知り合った天文部の部長のTが好きになった。理系の麻理はTと話が合った。放課後に天文部の部室に遊びに行ったり本の貸し借りをしているうちに、知的で大人びたTにひかれていったのだった。しかしそうTに告げることはできなかった。
麻理は美しい母と妹にコンプレックスを抱いていたため、容姿には自信がなかった。分厚いメガネの奥から鏡をのぞくと、地味でイケてない女の子が麻理を見つめた。一度コンタクトに変えたこともあったがどうしても体質にあわずに諦めた。「人間中身が大事」という言葉が心の支えだった。
そして告白
卒業式の日。卒業証書を握りしめ、思い切ってTに告白した。Tは言った。
「ごめん。君は話が合うししゃべってて楽しいんだけど、すごくいい友達だと思ってたんだ。どっちかっていうとポワポワっとしたフツーのオンナノコって人の方が俺にあってると思う」
すでにTの第二ボタンはなかった。
Tが去った後も麻理がその場に立ちつくしていると、生徒会の後輩の女の子達が花束を手に飛んできた。
「五十嵐先輩。卒業しないでください! 先輩がいないと寂しいー!」
「五十嵐会長の答辞、カンドーでした!」
「会長、これ手作りのクッキー。食べてください」
中には涙ぐんでいる後輩もいる。麻理もやけくそで泣いた。
失恋続きの大学時代
大学に入った麻理は髪をのばしてカールさせ、ロングスカートをはくようになった。コンパでも控えめにしてポワポワっとしたオンナノコになろうとした。
入部したサークルの先輩が好きになった。告白した。「もっとセクシーで大人っぽい女性の方が好みなんだ」と先輩は言い、年上のOLさんとつきあい始めた。
麻理はしっかりとメイクをし、派手なスーツを着るようになった。真面目でおとなしいクラスメートからは完全に浮いていたが気にしなかった。同級生の男の子を好きになった。告白した。
「派手な女の子は苦手なんだよ。それより君クラブ勤めしてるんだってみんな言ってるけど本当なの?」
麻理は絶句した。
図書館の青年
その後も何度も告白しては振られるを繰り返したが、バス停で寝てしまった一件から、麻理は化粧もオシャレもやめて大学の勉強に集中することにした。「どうせデートの予定もないし」と毎週末には近所の図書館で勉強してすごした。
数ヶ月通ううちに、麻理はいつも一番端の机で本を読んでいる青年が気になるようになった。大学生だろうか。色の白い、物静かな印象の青年だった。
麻理は少し離れてはいるが青年の顔が見える位置に席をとるようになった。何を読んでいるのだろうと、本の表紙に目を走らせたことがあった。北村薫のミステリ。雰囲気にあっているなと麻理は微笑んだ。気がつくと青年もこちらを見ていた。慌てて目を伏せた。
いつからか麻理と青年は毎週顔を会わせるたびにお互い会釈し会うようになった。話しかけることはなかったが、麻理は毎週図書館に通うのが楽しみになっていた。青年の姿を見つけると麻理はホッとした。青年はいつも本を読んでいた。
半年ほどがそうやってすぎた。
あなた、おいくつ?
ある冬の日だった。閉館時間になって麻理が荷物をまとめていると、例の青年が近づいてきた。麻理の心臓は跳ね上がった。青年は麻理よりも背が少し高かった。
「あの、毎週お会いしますね。本当は前から話しかけたかったんですけど、どうやって声かけていいか分からなくて。僕もう来週からここへは来ないんです。だから今日は思い切って話しかけようと思って」
麻理は驚いていた。その青年の予想外の声の高さに。
「僕、父の転勤で今度引っ越すんです」
「あ、あの失礼ですけどあなた、おいくつですか?」
「14歳です。近くのN中学の生徒です」
缶コーヒーの語らい
7歳も若かったなんて! 麻理は青年を大学生ぐらいだと思いこんでいた。そう言えば近くで見ると思ったよりも顔立ちが幼い。
「お姉さんはどこの高校なんですか?」
「へっ? 私、大学生なんですよ」
「えーっ! 全然化粧してないし、勉強ばかりしているから受験生だと思ってた」
目を丸くして素直に驚く様子が面白くて、麻理は思わず笑ってしまった。
自販機で缶コーヒーを買い、図書館の外のブロックに座って話し始めた。
へえ、お姉さんもミステリ好きなんだね。
島田荘司の新本格ミステリ、面白いわよ。
転校たいへんね。
別にどうってことないよ。
本の事、学校のことなど1時間ほど話して二人は立ち上がった。もう会うことはないと知っていたが、麻理が「またね」というと少年も「またね」と言って笑った。
スキップ
家への帰り道、麻理の心はほんわりと温かく、足取りは軽かった。そういえばスキップをしたのは10年ぶりかもしれない。麻理が見上げると、透き通った冬の夕暮れが果てしなく広がっていた。

参考文献
『ゲイルズバーグの春を愛す』ジャック・フィニイ 福島 正実訳
古き良き時代のSF。ノスタルジックなSF。心がほんわり温かくなります。この中の『愛の手紙』は、とても切ない恋の物語です。ちょっと疲れたときに読むといい心の風邪薬。
このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は20年前の、2002年08月20日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。