【オフェーリア】死せるヒロイン・なぜ水死する少女に私たちは恋をするのか?

そして詩人は語るのだ、星の輝く夜になると摘んだ花を探し求めにおまえが来ると、長いヴェールに横たわる蒼白いオフェーリアが大きな百合の花のように流れを漂うのを見たと。

(『オフェーリア』ランボー より)

スポンサーリンク

シェイクスピアの人気ヒロイン・オフェーリア

愛する婚約者ハムレットに父を殺され、心を狂わせて水死したオフェーリア。シェイクスピアの作品の中で人気投票をしたら、きっと5位以内にランクインするだろうと思われるほど、オフェーリアは印象的なヒロインです。でも私はこのオフェーリアで2回ほど拍子抜けしたことがあります。

影が薄いオフェーリア

1回目は実際に『ハムレット』を読んだとき。

様々な芸術文化に影響を与えたオフェーリアですから、かなり印象的な描写をされているに違いないと思いこんでいたのです。しかしオフェーリアはジュリエットやデズデモーナなど、他の悲劇のヒロイン達に比べてものすごく影が薄いのです。そのクライマックスシーンである死の場面も、他の登場人物によって「こんな風に彼女は死んだ」と伝えられるだけです。なんだかあっけないなあと思ってしまいました。

こんな小さいの?

2回目は98年に東京都美術館の『テート・ギャラリー展』を見に行ったときのことです。

この展覧会の目玉はジョン・エバレット・ミレイの『オフェーリア』でした。NHKがかなり派手に宣伝していたので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。ビクトリア朝絵画の最高傑作と言われる作品です。

画集で見て以来私はオフェーリアに心をとらわれてしまっていました。だから展覧会が待ち遠しくて仕方ありませんでした。当日の開場は押し合いへし合いの大混乱。もちろん『オフェーリア』の前は黒山の人だかり。

やっとのことで絵の前に立つと、それは思ったよりもずっとずっと小さい作品だったのです。あれ? こんな小さいの? 小ささに驚いているうちに押し流されてしまって、『オフェーリア』の鑑賞はあっという間に終了してしまいました。

オフェーリアの魅力は何?

もちろん「シェイクスピアは描画力がない」「ミレイはたいしたことない」と言いたいわけではありません。あまりに「水に流され死にゆく少女」のイメージが私の心を大きく占めていたので、想像の方が実物よりも大きくなってしまっていたのです。

たくさんの画家、詩人、哲学者、作家がオフェーリアに関する作品を作っています。いえ、「オフェーリア」というよりも「少女と水死」のイメージが、私たちを強くひきつけるのです。なぜこんなにも私たちは夭逝した乙女のことを思うのでしょうか?

死と水のイメージ

少女とはうつろいゆくものです。どんな少女も必ず少しずつ老いのしるしを刻んでゆきます。しかし私たちは永遠の若さと美しさを手に入れたいと願います。

そんなとき、私たちは暗く恐ろしい想像をせずにはおれません。唯一時を止められる方法、それは「死」。オフェーリアのように死の世界へと踏み入れた少女だけが、老いることのない生を生きられるのです。

また「水」のイメージもその永遠性をさらに強調しています。生命を生み出し、生命を受け入れる水。水に抱かれて死ぬ少女達は、また別の生へと生まれ変わる輪廻転生の輪の中にいるのです。手に入らないものほど欲しくなると言いますが、永遠を手に入れた少女たちに私たちは憧憬のまなざしを向けるのです。

少女だけが持つ軽やかさ

と言っても当の少女達はそんなことを考えることはないでしょう。昔少女だった私が言うのだから間違いありません。オフェーリアが生きることに執着しなかったように、彼女たちはじつに軽々とに時の流れをスキップして進んでいくのですから。

そして少女だけが持つそのあっけなさ、軽やかさ、はかなさ、潔さ──そういうものに私たちの心は鷲づかみにされるのです。

参考文献

『一冊でわかるシェイクスピア作品ガイド37』出口 典雄監

戯曲で読むのもいいけれど、やはりシェイクスピアは舞台。日本で上演された主な舞台をカラーで、分かりやすくガイドしてくれます。欄外のミニコラムもシェイクスピアにまつわる雑学が満載。これ一冊であなたもシェイクスピア通!

このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は16年前の、2003年02月04日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。

元サイト「幻想画廊」はこちらです。

トップへ戻る