【忍び】『あずみ』江戸時代の町人は走れなかったって本当なの!?

走り方を一目見て、ああ、あれは武士であるとか、飛脚であるとか、どういう人間がすぐ分かったと思います。

(『古武術の発見―日本人にとって「身体」とは何か』養老 孟司・甲野 善紀著 より)

大ヒットマンガ『あずみ』

ビックコミックスペリオールに連載中の『あずみ』というマンガをご存じですか? 作者は『がんばれ元気』や『お~い!竜馬』などのヒット作がある小山ゆうです。

時は戦国時代。関ヶ原の合戦で徳川家康が勝利を収めたものの、各地では野武せりとなった浪人が略奪を繰り返していた。武術の達人、爺(じじ)は平和な世にするため、才能ある子供達に忍びの技を教え込み、天下太平のための暗殺集団を創りあげる。あずみはその中でも最強と言われる天才剣士だった。少女あずみは人を殺す葛藤と苦しみながら、孤独な戦いを続けていく……。

「むむっ、できる」はあり得るのか?

あずみは幼い頃から過酷な剣の英才教育を受け、刀を構える一瞬で相手の力量を見切り、目にもとまらぬ早さで敵を切ります。時代劇にはこういう剣の達人がよく出てきますね。剣を構えただけで、「むっ、できる!」とか言ったりして。

でもこんなこと、本当に可能なのでしょうか?

なんと、江戸時代の人は走れなかった!?

『古武術の発見』という本の中で、解剖学者の養老孟司と武術研究家の甲野善紀が武術について対談をしています。武術に関して門外漢の私は、ページをめくるたびに知らないことばかりで驚いたのですが、一番びっくりしたのが「昔の日本人は走れなかった」ということ。

甲野氏によると昔の一般の日本人は、腕と足を互い違いに振って「走る」ということができなかったそうなのです。腕を振って走るとしても、右手と右手、左手と左手が一緒に出てしまうのです。江戸時代に走ることができたのは、武士や忍者、飛脚、猟師など特殊な職業の人だけ。昔の戦乱絵巻など見ても、逃げまどう人々は腕を上に上げてあたふたとしているだけで、現代人のように腕を振って走っている人はいないということです。

これを読んで私はすごいカルチャーショックを受けました。いくらなんでもそんなバカな! と疑ったのですが、考えてみると思い当たることがあるのです。

着物の動き、洋服の動き

私は昔から着物が好きです。着物というのは長いこと着ていますと、着物にふさわしい動きが身についてきます。上手く動けば苦しくなく、着崩れなどもあまりありません。

着物を着ている時の歩き方は、洋服を着ている時とは全く違います。洋服の時は重心が割と上の方にあり、腕を振り、足を前に前に踏み出す歩き方をしますが、着物の時は重心は腰のあたりにあってあまり腕を振らずに歩く感じなのです。

それぐらい動きが違うため、花火大会や成人式の様子を見て着物を着慣れている人なのかどうか、見る人が見れば一目で分かるほどです。

走れるのは、訓練のたまもの

私たちが腕を振って走ることができるのは、実は小さい頃から体育の授業で正しい走り方を習ったり、スポーツ選手が走るのを見て学習するからなのです。着物を着ない人が着物での合理的な動き方を知らないように、走り方を習うことがなかった江戸時代の一般人は上手く走れなかったのかもしれません。

着物に関してひよっこの私のような者にも歩き方の見分けがつくのですから、長年剣の修行をしてきた達人にとっては、剣の構え方を一目見るだけで「できる」かどうか察するのは簡単なことに違いありませんね。

江戸時代にタイムスリップしたら

『あずみ』の中ではあずみが腕をぶんぶん振って陸上選手のように走って逃げるシーンがあります。手練れの武士もあずみに追いつくことができないのですが、走る特殊訓練を受けたあずみにかなわないのは当たり前です。

もし私が江戸時代にタイムスリップして、上手く町娘に化けたとしても走っただけで「ムムッ、おぬしただ者ではないな」なんてばれちゃいますね。

参考文献

『古武術の発見―日本人にとって「身体」とは何か』養老 孟司・甲野 善紀著

私の大好きな養老先生の対談ということで読んだのですが、甲野氏の武術に関する博学さにすっかり夢中になってしまいました。円ではなく四角形を元にした『井桁崩し』という武術の動きがとても新しく感じました。でもカッパブックスでなければ信憑性4割り増しなのになあ。惜しい。

このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は21年前の、2002年07月30日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。

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