【王国】ヘンリー・ダーガー 誰にも知られず少女達の叙事詩を書き続けた天才

知っているわ。あなたは以前、ある任務について、アビニアの私たちの家に来て、私たちを助けてくれた。あなたはヘンリー・ダーガー、カトリック軍のジェミニ・スパイ隊の優秀な人物だわ。

(『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』ヘンリー・ダーガー より)

誰も知らない大戦争

シカゴの片隅の小さなアパートで毎夜、身も凍るような大戦争が行われていたと言ったら、あなたはきっと驚かれるでしょう。グランデリニア国とアビエニア国との奴隷制を巡る戦いです。60年以上もの間、この大戦争を目撃しつづけたのはたった一人の男性でした。

彼の名はヘンリー・ダーガー。シカゴの病院の清掃人兼皿洗いの仕事を50年以上続けました。友達もおらず身よりもない孤独な老人ダーガーは、1973年にひっそりと息を引き取りました。そして彼の死後、雑然とした部屋の中から驚くべき品々が発見されました。

ヘンリー・ダーガーの驚くべき遺産

それはタイプライターで書かれた1万5145ページにも及ぶ戦争の物語『非現実の王国で』と、戦争の様子を描いた300枚以上の水彩画、戦死者や両軍の軍旗などの設定をメモした詳細で膨大な量の補助ノートでした。変わり者の老人ダーガーは、実は天才的な芸術家だったのです。

ダーガーは19歳から81歳で亡くなるまでの60年以上、仕事を終えてアパートに帰ると、彼の頭の中で繰り広げられる空想の戦争について書き続けました。ダーガーはこの物語について誰にも話しませんでしたが、アパートの大家が名の知れたアーティストだったため、彼の死後作品は世に出ることとなりました。

偉大なる少女戦士・ヴィヴィアン・ガールズ

『非現実の王国で』は正確には『非現実の王国として知られている国の、ヴィヴィアンの少女たちの物語。あるいは子供奴隷の反乱が引き起こしたグランデーコ=アンジェリニアン戦争の嵐の物語』という長い題名の戦争記です。

平和国家「アビエニア」を率いるのは、ヴィヴィアン・ガールズと言われる7人の幼い姉妹達。彼女たちは乗馬と射撃、変装の名人で、子供を奴隷にして虐待の限りを尽くす極悪国家「グランデリニア」と勇敢に戦います。

極彩色の地獄

ダーガーはこの戦争を挿し絵にも描いています。彼は美術教育を受けなかったどころか、まともな教育さえ受けていませんでした。彼は少女のイラストが載っている新聞広告、ちらしなどを集めて切り取り、少女の絵の輪郭をトレースして着色するという独特なコラージュ方法を考え出しました。

ダーガーの戦争画は子供が描く絵のように天真爛漫で、明るい色彩で描かれています。からりと晴れた空に異常に大きい極彩色の花々が咲いていて、一見なんだか楽しげです。しかしその中で少女達は銃を持って血の雨降る戦場を走り回り、敵に拷問され、首を絞められたり腹を割かれてのたうち回っているのです。

ペニスを持つ少女達

またとても奇異なことに、ダーガーの絵の少女達はみなペニスを持っています。それはダーガーが生涯女性と関係を持つことがなく、女性器を見たことがなかったからです。目をぱちくりさせながら逃げまどう両性具有の少女たち、バラバラ死体であふれる田園風景──無邪気な地獄絵図は、見る人の心を震えさせながらも鷲づかみにするのです。

少女を愛した、孤高の天才

少女性愛を感じさせる作品ですが、ダーガーは決して少女を手にかけることはありませんでした。敬虔なキリスト教徒であった彼は、物語の殺戮を目撃しながら「神はなぜこのような非道をお許しになるのか!」と叫び続けました。物語の中での彼はさえない掃除人ではなく、勇敢に戦況を書くジャーナリスト、優秀なカトリック軍のスパイ、そして子供達の味方でした。

妄想の王国に生きた孤高の天才アーティスト、ヘンリー・ダーガー。彼の墓には「子供達を守り続けた芸術家」という銘が刻まれています。

参考文献

『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』ヘンリー・ダーガー ジョン・マグレガー著 小出 由紀子訳

ヘンリー・ダーガーの作品と、ダーガー研究の第一人者、マクレガーの詳細な分析を堪能できる一冊。豊富なダーガーのイラストレーションと物語が載っているので資料としても使えます。少女戦士、ヴィヴィアン・ガールズの華麗なる活躍をぜひご覧あれ。

ワタリウム美術館「ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で」

回顧展が2002年11月29日〜2002年04月06日 東京(青山)にて開催。

このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は20年前の、2002年12月17日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。

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