妖精たちの色彩は少女たちによると、淡いピンク、グリーン、薄紫、藤色などで、その色彩は羽に出ている。肢体と衣服はほとんど白に近い。各々妖精は特色ある色をしている。
(『妖精の出現 コティングリー妖精事件』A・コナン・ドイル より)
世界で最も有名な不思議写真
当画廊にいらしている不思議なものがお好きな皆様なら「コティングリー妖精事件」のことを耳にしたことがあるかもしれません。映画化もされましたからご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
今回のギャラリーは「世界で最も有名な不思議写真」を題材にしました。
少女の妖精写真とコナン・ドイル
妖精に囲まれる少女1920年、二人の少女が妖精の姿をカメラに納めたというニュースで、イギリス中で大論争が巻き起こりました。彼女たちはエルシー・ライト(16歳)と彼女のいとこのフランシス・グリフィス(9歳)。場所はイギリスのヨークシャー地方、コティングリー村のはずれ。エルシーが父親から借りたミッジカメラで、撮影したのです。
最初はただのいたずらと思われていたものの、1920年になってその写真が、ある有名な小説家の元に郵送されたことから、以降60年間も続く論争になってしまったのです。その小説家とは、シャーロック・ホームズの生みの親としても有名なアーサー・コナン・ドイルです。ドイルは1902年にサーの称号を与えられており、医師としても著名なイギリスを代表する文化人でした。
ドイルのお墨付きに賛否両論
ドイルは心霊学研究にも熱心で、死後の世界など不思議な現象を信じていましたが、この写真をすぐに信じることはせず、トリック写真であるか否かの写真鑑定を専門家に依頼しました。その結果は、合成や二重露光などのトリックの跡は認められないとのことでした。
また、知り合いの神智学者にも現地調査を依頼し、念を入れて調べ上げました。そして、ドイルはとうとう妖精の存在を確信したのです。
この写真がドイルのお墨付きで雑誌に掲載されると、賛否両論の大反響が起こりました。「非科学的だ」と批判する人、「ケルト神話は本当だったのだ」と絶賛する人、「トリックに決まっている」と息巻く人──二人の少女は英国一の有名人となり、静かなコティングリーには観光客が押し掛けました。
エルシーの告白
この事件は1930年にドイルが死去すると次第に忘れられていましたが、また数十年後に世界中を驚かせることになります。1966年のデイリーエクスプレス誌に、エルシーの告白が掲載されたのです。
「あの写真は、私とフランシスの想像の産物です」
「妖精写真はエルシーが妖精の絵を描き、それを切り抜いてピンで止め、写真に撮ったものでした」
かくしてこの写真は「最も多くの人々を最も長い間だましたトリック写真」としてギネスブックに載ることになったのです。
あなたは信じますか?
結局妖精はいなかったのでしょうか? フランシスの娘さんがこう証言しています。
「最後の写真だけは本物だと母は言いました。草むらの中で動いたものを、母が慌てて撮ったそうです。母は死ぬまで妖精を信じていました。そしてとても誠実な人でした。私はそんな母の言葉を信じます」
あなたは妖精を信じますか?
参考文献
『妖精の出現 コティングリー妖精事件』A・コナン・ドイル
シャーロック・ホームズの作者コナン・ドイルが書いた、コティングリー妖精事件の顛末。映画の原作にもなりました。ドイル自身が妖精事件をどう思っていたのかが分かります。訳は日本における妖精学の第一人者、井村君江先生です。
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