ショウマンシップの秘密は、実際に演者がやってみせたことにあるのではなく、好奇心に満ちあふれた観客に、演者が本当にやったのだと思い込ませるところにある。
(『ロベール・ウーダンの正体』ハリー・フーディーニ より)
どちらの天功を思い浮かべますか?
引田天功というと私は2代目プリンセス・テンコーよりも、初代の引田天功を思い浮かべます。引田天功が得意とした出し物は「脱出マジック」でした。ある時はヘリコプターから落とされ、ある時は地中に埋められ、またある時は滝から落とされ──。観客は手に汗握るのですが、彼はいつの間にかそこから抜け出してニコニコしながら手を振っていました。
脱出の天才・フーディーニ
「エスケープ(脱出)マジック」というジャンルを作ったのは、アメリカが産んだ脱出王・ハリー・フーディーニ (1874-1926) です。彼が亡くなってすでに75年が経ちますが、アメリカでマジシャンと言えばフーディーニが代名詞となっているほどの有名人です。
フーディーニ手首足首を縛られて厳重な監獄に放り込まれても、箱詰めにされて凍るようなハドソン川に投げ込まれても、わずか数分で楽々と脱出してしまうのでした。ある時など列車が通過する線路にしばりつけられて、もう少しで轢かれるというところで縄をほどいて線路から転がり落ちました。
観客はフーディーニが今度こそ死んでしまうのではとハラハラしながらしながらも、残酷な興奮に酔いしれました。フーディーニのショーはいつも満員御礼。彼は「脱出王」「エスケープ・アーティスト」と呼ばれ、たいへんな人気を博していました。
作家・コナン・ドイルとの交友
フーディーニのショーは不思議に満ちていました。しかし彼自身は心霊現象には否定的でした。彼は作家アーサー・コナン・ドイルと友人でしたが、その点で意見の相違がありました。
ある時ドイルはフーディーニを降霊会に招待し、フーディーニの母親の霊を呼び出しました。しかしこの霊は真っ赤な偽者だったため、以後彼らは絶縁してしまいます。以降フーディーニは心霊現象を激しく否定するようになりました。(その後ドイルは「コティングリー妖精事件」のスキャンダルに巻き込まれます)

冒頭に書いた彼の言葉のように、マジックとは「観客が望む夢を見せる」ことなのです。だからこそ彼はちゃちな霊媒師に怒り、片っ端から心霊現象のウソを告発し続けました。彼の望むものは「完璧な夢」でした。
フーディーニの嘘と夢
フーディーニはずっとアメリカ人だと主張していましたが、実際はハンガリーのブタペスト生まれで、本名はエーリッヒ・ワイスと言いました。彼はユダヤ人で父親が殺人犯であったため、そのことを隠そうとしていたという説もあります。
結局一番夢を見たかったのはフーディーニ自身だったもしれません。現実の自分を否定し、ウソをつき続け、多くの観客の度肝を抜き、きらめく舞台で必死の脱出劇を演じてきたのです。彼は観客に夢を提供することを願い、夢の中で生き、その夢が原因で亡くなりました。
不死身でなかったフーディーニ
1952年に制作された『魔術の恋』では、フーディーニが水中からの脱出マジックに失敗して死んだことになっていますが、これは実話ではありません。
1926年10月31日のハロウィンの夜に、楽屋で学生が彼の腹を思いっきり殴りつけたことから、急性盲腸炎になって亡くなったのです。彼は普段から不死身であると自慢していたのですが、その学生は彼が死なないと本気で信じ込んでいたのでした。
彼の最後の言葉は「自分は死の足かせからも脱出し、よみがえってくる」というものでしたが、未だに帰ってこないのは天国でもきっと天才マジシャンとして引っ張りだこだからでしょうね。
参考文献
『不可能からの脱出―超能力を演出したショウマン ハリー・フーディーニ』 松田道弘
フーディーニの事を知るならこの本。非常に詳しく面白く読めます。著者の松本氏はご自身もマジシャンでたくさんの解説本を書いていらっしゃいます。マジック関係の本を集めていると彼の本ばかりになってしまうほど、博学で研究熱心な方です。なんで絶版かなあ……。
The American Experience | Houdini(English) ※リンク切れ
フーディーニの写真・ポスターなど。
このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は20年前の、2002年09月03日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。