ヒゲ女も、女装の男も、究極的にはもう一つの性を衣装としてまとうことによって、「変身」するのではなく、両性を共有し、より自らを補完強化しようとしているのである。
(『不思議図書館』寺山 修司 より)
すっげーCM、ご存じですか?
NHKイタリア語会話講師のジローラモさんが出てくる、男性用シェーバーのCMご存じですか? シェーバー片手にパンツ一丁のジローラモさんが、ヒゲや胸毛をスパーっと剃って、「すっげー!」なんて叫んでますね。あれ、コンピュータ合成かと思ったら本物の毛で、実際に剃ってるんですってね。その事実の方が「すっげー!」
女の顔にはヒゲはない?
女の私には実際にヒゲを生やすことはできませんが、フォトショップなら、ヒゲを生やしたり髪型を変えたりは簡単です。ハッ、ハッ、ハッ、どうですかな? ボクのヒゲは? なあんて、こういう口調である必要はないですね。
さきほど女の私にはヒゲがないということを言いましたが、調べてみましたらヒゲが生える女性というのは結構いらっしゃるようなんですよ。今回は寺山修司の『不思議図書館』から、ヒゲ女として有名なクレメンチーヌ・デュレをご紹介しましょう。
私の方が、もっとすごいぞ
クレメンチーヌ・デュレは、1865年にフランスのヴォージュ地方に生まれました。彼女を記念して、後にこのフランス北東部の土地に博物館まで建てられたほどの有名人です。
ある日パン職人の夫ポールとお祭りに出かけたクレメンチーヌは、サーカスのサイドショウでヒゲ女を見物。しかしクレメンチーヌは「これだったら私の方がもっとすごい!」と思いました。彼女は毎日隣の理髪店でヒゲを剃っていたので、剃るのをやめればすぐにモジャモジャとヒゲが生えると考えたのです。
女はヒゲを生やせるか否か
クレメンチーヌは夫のお店のカフェで働いていましたが、ある日お店のお客ペロンと「女にヒゲが生やせるわけがない」「いや、生やせる!」と論争になりました。そこで、彼女がヒゲを生やすことができるかどうか賭けをすることになったのです。
そして結果はもちろんクレメンチーヌの勝ち。ペロンは掛け金を踏み倒して逃げてしまいましたが、珍しいヒゲ女が見られるということでカフェは大繁盛しました。もともとお店の名前は「カフェ・デュレ」でしたが、デュレ夫妻は、Cafe de la femme a barbe、つまり「ヒゲ女のカフェ」という名前に変えました。
ハンディキャップを武器に
当時女性の地位は低く参政権もありませんでした。クレメンチーヌはヒゲを生やし始めてから婦人参政権運動をしていた活動家と交流し、当時フランスで許されていなかった「男装」を許可された最初の人になりました。女性がズボンをはくのが禁止されていたなんて、今の私たちには信じられないですね。
1934年の市長選挙では市長と助役とで接戦になりました。しかしたくさんの街の人々がクレメンチーヌ・デュレの名前を書いて投票したため見事当選。
クレメンチーヌは女性の地位向上・フェミニズム運動にも一役買っていたのです。女性のヒゲというのはハンディキャップと思っていたのですが、彼女のようにヒゲを生かした人生を送った人もいるんですね。
ヒゲの効果
ところでヒゲと言えば面白い話を聞きました。フランシス・F・コッポラ監督が映画スタッフと何かの賭をして負けて、ヒゲを剃る羽目になったそうです。そうしたら、ヒゲのないコッポラ監督をスタッフがあまり怖がらず、言うことを聞いてくれなくなったのです。以来監督はずっとヒゲを生やしています。
クレメンチーヌの場合も、当時弱者であった女性が強そうなヒゲをたくわえているという矛盾した魅力があったのでしょうね。
参考文献
『不思議図書館』寺山 修司
死後もなお熱狂的なファンがいる、天才寺山修司の意外な一面が見られる一冊。彼のコレクションの奇書・珍書の中から不思議な本を、ユーモアを交えた文章で紹介しています。私もこんな図書館で司書になれたらシアワセ!
weird makeups: the bearded ladies (English) ※リンク切れ
映画の中のヒゲ女さんの写真
このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は21年前の、2002年05月28日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。他サイトの画像は2019年の外部リンクの画像に置き換えました。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。