【サンバ】サクラ・サクラ・サンバ(ミニ小説・フィクション)

願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

(西行 辞世の句 より)

桜の夕暮れ

校庭の芝生で寝ころぶと、茜色の空を背景にピンクの桜の花びらがわたしの上に降りそそいだ。校庭はひっそりと静まっていた。昼間の学校の騒がしさがうそみたい。セーラー服の上につもっていく桜は、服の紺色に映えて美しかった。沈んでいた心が少し軽くなった。

ブラジルからニッポンへ

わたしはイガラシ・マリア。ブラジルから東京へ引っ越して3ヶ月。

わたしは寂しかった。ここへ来る前はあんなに心が躍っていたのに。おじいちゃんの国、キモノの国、エキゾチックでハイテクな国──ニッポン。ブラジルの日系人社会はみんな親切で助け合っていた。だから東京のニッポン人もきっと暖かい人ばかりだろうと思っていた。

わたしは15歳だから中学校へ転入した。でも日本語がまだよく分からなかったので、授業はさっぱり理解できなかった。クラスメートはわたしを遠巻きに見ているだけだった。

わたしのパパは日系2世で、ママはブラジル人だ。女子生徒はわたしよりも頭一つ小さくずっと幼く見えたし、褐色の肌の大女のわたしに話しかけにくかったのだろう。もっとも話しかけてもらっても、話の半分も聞き取れなかったのだろうけど。

つまりわたしはこの3ヶ月、教室の机に座ってほとんどしゃべることなかった。だんだん日本語は分かるようになってきたけど、わたしは孤独だった。

クラスメート・シンジ

しかしどういうわけか、何かとわたしにちょっかいをかけてくる男子生徒がいた。サッカー部のシンジだ。すぐ前の席に座っているので、授業中でも何度となく振り向いては質問ばかりしてくるのだ。

「あのさ、好きなブラジル人サッカー選手って誰?」

「マリアはマルシアみたいにしゃべんないの?」

「ブラジル人って何食ってんだ?」

「マリアも、ビキニみたいなやつきて踊るのか?

あまりにあれこれ聞いてくるので、時々うんざりした。それに「ビキニみたいなやつ」じゃない。あれはタンガ。立派なサンバの衣装だ。

ママはダンサー

わたしのママは、若いときにサンバのダンサーをやっていた。それも優勝チーム・マンゲイラのパシスタだった。パシスタとは「パソ(ステップ)を踏む人」という意味で、サンバ・ノ・ペ(サンバステップ)が踏める女性ダンサーのことだ。

一般に知られているビキニのような衣装・タンガは、誰でも着られるわけじゃない。スタイル、容姿、ダンスの技術、カリスマ性などを考慮されて、コンテストを勝ち抜かなければパシスタにはなれない。ましてやマンゲイラのような強いチームのコンテストはかなりの難関だ。パシスタは女性ダンサーなら一度は憧れるし、タンガを着られることはとても名誉なことなのだ。

小さいときからずっとママみたいなダンサーになりたいと思っていたのに……。パパの仕事で東京へ来たのは失敗だったかな。先月開催されたカーニバル見たかったな。

何もかも正反対

夕暮れの空気は少し冷えていた。ブラジルは今は真夏。ニッポン人は遠くでひそひそわたしのうわさ話をするだけだけど、ブラジルではみんな明るくて陽気だった。ここは全然違う。ニッポンはブラジルの反対側だから、全部何もかも反対なんだ。

ちらちら散る桜を眺めていると少し泣けてきた。涙を拭いて立ち上がり、ちょっとだけサンバステップを踏んでみた。ママが「マリアならきっとダンサーに選ばれるよ」と言ってくれたステップ。こんなに軽やかに動けるのに。

おまえ、踊れるんだ!

「あれ? マリアじゃん」

声に振り向くとシンジだった。サッカーボールを抱えている。見られたと思うと顔がほてった。

「なあ、それってゴール決めたときにやるやつだろ。すげえじゃん、おまえ踊れるんだ!」

シンジはニコニコしていたけど、わたしはどう言ったらいいのか分からなくて、じっとシンジの顔を見つめていた。シンジは桜を見上げて言った。

桜の木の下には……

「もう桜も終わりだよな。でもこうやって散っているのも綺麗で、俺好きだな」

「うん、キレイです」

「でも満開の桜ってちょっと怖いところあるよな。知ってるか? 桜の下に死体が埋まってるっていうんだぜ」

「死体ですか……」

「ただのお話だよ。でも今日古典で習ったじゃん。えーっと『願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ』 桜の花の下で死ねたらいいなっていう意味だよ。なんか桜は『死』のイメージがあるんだよな」

カーニバルのおわり

その時急にわたしの頭の中で何かが光った。死のイメージ! ママが昔、言っていた。

カーニバルはねいつだって哀しいよ。すごく楽しいのに哀しくて、涙が出てくる。キラキラして明るくて、その中で踊れる幸せを全身で感じながら、カーニバルの終わりを思うと胸が締め付けられるの。この絶頂の中で死ねたらと神様にお願いしたこともある。いつも踊りながら死を考えたよ。こんな気持ちをポルトガル語でサウダージっていうんだよ──

「日本人ってそういうの好きなんだよ。パーッと派手に咲いて、サッと散るみたいなやつがさ」

カーニバルはまぶしい。だから光の分だけ影ができるのよ。生きる楽しさと同時に生きる哀しみも知らなければ、本当のダンサーにはなれないよ。普段地味に暮らしていても、カーニバルには思いっきり派手にやるんだ。それが格好いいんだよ──

通じ合う心

「なんつうのかな、それが『粋』とかいうやつなのかもね」

なんだ! 同じだ! どこにだって通じ合う心はあるんだ。そう気づいた時、校庭の桜の色が急に明るく感じられた。

突風が吹いた。桜の花びらが一面に散った。

「あのさ、俺にもブラジルのこととか、ダンスのこととか──その、マリアのこととか教えてくれよ」

シンジの顔が赤く見えるのはもう夕暮れだからかな。舞い散る桜の花びらが、わたしにはカーニバルの花吹雪に見えた。

参考文献

『カーニバルの誘惑 ラテンアメリカ祝祭紀行』白根 全

熱気が伝わってくる素敵な写真集です。日本でただ一人という『カーニバル評論家』の白根さんが、体当たりで取材したカーニバルの数々。巻末にはカーニバルを知るためのCD/DVDの紹介もあり、これを読めばあなたも旅をしたくなること間違いなし。人々の笑顔がまぶしい本です。

このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は20年前の、2003年04月22日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。

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