『草原の夜』
ひるまは牛がそこにいて、
青草たべていたところ。夜ふけて、
月のひかりがあるいてる。月のひかりのさわるとき、
草はすっすとまたのびる。
あしたもごちそうしてやろと。ひるま子どもがそこにいて、
お花をつんでいたところ。夜ふけて、
天使がひとりあるいてる。天使の足のふむところ、
かわりの花がまたひらく、
あしたも子どもに見せようと。(『草原の夜』金子みすゞ より)
草原の夜
なんてせつなく優しい詩なのでしょう。魂が暖かいものでそっと包まれるような素敵な詩。草、花、大地、空──全てのものがつながっているのだという安心感で泣きたくなるような詩。日々の忙しい生活で、乾ききった心に浸みてゆく甘露のような詩。
今回は金子みすゞの詩集から「草原の夜」をご紹介しました。ひっそりとした夜の草原を歩く天使。周りに咲くのは一面の彼岸花。澄んだ夜空に紅の花弁が風に揺れています。牛が草をはむ牧草地にしようか迷ったのですが、彼岸花の方が色彩的にいいかなと思って使ってみました。
若き童謡詩人の中の巨星
金子みすゞは今から100年前の1903年(明治36年)に山口県に生まれました。本名は金子テルです。下関市の書店で働きながら童謡を書き、詩人の西条八十に認められ「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されました。

幻の天才詩人
金子みすゞはほとんどの原稿が見つからないまま、長い間「幻の童謡詩人」と言われていました。しかし没後50年たって遺稿が発見されたため、現在では小学校の教科書にも載るほどの有名詩人になりました。
みなさんも金子みすゞをモデルにした映画やドラマをご覧になったことはありませんか? 2年前の2001年に、松たか子さんが「明るいほうへ 明るいほうへ」というドラマでみすゞ役を熱演していらっしゃいましたね。写真の金子みすゞに顔立ちがなんとなく似ているなあと思いました。
「大漁」
私が金子みすゞを初めて知った詩は、「大漁」という詩です。
「大漁」
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰯(おおばいわし)の
大漁だ。浜は祭の
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう。
浜のめでたい雰囲気が、一瞬にして悲しみの場に変わります。私は言葉の持つ力に息をのみました。そしてこんな詩を書く詩人はいろんなものが見えすぎて、悲しみが胸から溢れることはないのでしょうか。金子みすゞの詩は様々な視点から物事をみつめる大切さを教えてくれます。
そして彼女の詩はどれも哀しみが隠れているようにも感じられます。よく人は悲しむときに悲しい音楽を聴きますね。わざと明るい音楽を聴いても心はなかなかなぐさめられないものです。悲しい音楽を聴いて泣くことで心の痛みが癒えていくように、みすゞの詩は人が心の底に持つ哀しみを、私たちの代わりに表に出してくれるような気がするのです。
金子みすゞの哀しみ
金子みすゞは20歳で、若き投稿詩人たちのあこがれの的になりました。発表する詩は絶賛され、西条八十にも太鼓判を押されました。
しかし彼女の生涯は幸福であったとは言えません。23歳で結婚し一人娘を産んだものの、夫との仲は悪化していきました。24歳で発病し、25歳の時には生き甲斐である詩や童謡の創作を夫に禁止されます。その後も結婚生活に恵まれず26歳で離婚しました。
そして1930年3月9日に写真館で最後の写真を写した後、服毒自殺をしました。まだ若すぎる26歳でした。
どんな小さな物にも暖かいまなざしを向けていた金子みすゞ。機会がありましたら、そのやさしい言葉たちにぜひ触れてみてくださいね。
参考文献
『明るいほうへ』金子 みすゞ著 矢崎 節夫選
ちょっと疲れた時に、心に染み渡る優しい詩ばかりです。こんなに繊細でみずみずしい詩を書いた金子みすゞ。もっと長生きして欲しかった。
このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は19年前の、2003年09月30日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。