♪夏のお嬢さん ビキニがとっても似合うよ
刺激的さ クラクラしちゃう チュウチュウチュチュ♪(『夏のお嬢さん』榊原郁恵 より)
夏と言ったら……?
いよいよ本格的に夏ですね! 夏と言えば海! そして、カーッと暑い中に、キーンと冷えたビールを飲む楽しみ。居酒屋さんへ行くと、なぜかビールジョッキ片手に水着でほほ笑むお姉さんのポスターが貼ってありますが、なんで水着&ビールなんでしょうか? ま、これも日本の夏の風物詩ですね。
しかしこれは大人のお話。学校に通っている子供さん、学生さんの風物詩と言ったら、「夏休みの宿題」でしょうね。みなさん、宿題頑張ってますかー?
夏休みの宿題はいつやりましたか?
ベビーブーマージュニアの私。子供の頃は夏休みになると絵日記、自由研究、工作、算数ドリル──とどっさり宿題が出ました。私は昔から几帳面な性格で、夏休みの宿題は絵日記以外7月中に全部やってしまうような子供でした。心のどこかで「宿題やらなきゃ」と思ってては、100%遊べないじゃないですか。宿題を片づけておくと、そんな心配もしなくていいんですよね。
私の妹は正反対で、8月の終わりになって焦り出すタイプでして「先にいやなことを済ませた方がいいのにになあ」と不思議でした。
みなさんはどちらのタイプでしたか?
宿題どっさり大いに結構
ところで今の学校はどうなんでしょう? 今はゆとり教育ということで授業数や科目も減っていますから、夏休みの宿題も生徒の自主性にまかせて、あまり出されないのでしょうか?
今では漢文は受験科目から削られ、円周率は「3」でOKなんですってね。でもはっきり言うと、私は宿題どっさり、つめこみ教育賛成派。ゆとり教育には反対なのです。
好きなクラスだけ取るのはいいことかな?
私は高校生時代にアメリカの学校に通っていたことがあります。そこでは最低限の基礎科目を取れば自分の好きなクラスだけを選択して学ぶことができました。日本の大学の授業のような感じです。
数学なんて100クラスもありました。下は九九レベルから、上は大学レベルのトポロジーのクラスまで。どれを履修しようか迷うほど。最初は「なんて素晴らしいシステムだ!」と思ったのですが、しばらくすると「これにはちょっとまずいなあ」という点もあることに気づきました。
私の友人は女優志望で、授業は演劇関係のクラスばかり取っていました。毎日毎日ただひたすら演技の勉強だけ。他の科目には全く興味がないようでした。それはそれで楽しそうでしたが、演技のクラスしか取らないというのはなんとももったいない気がしました。
演技の勉強に役立つもの
演技に直接関係ないと思われても、世界の古典文学、現代文学、数学、物理学、スポーツ、美術、哲学、歴史……などについての知識を頭にいれておけば、後になって演技の幅が広がるのではないかと考えたからです。
たとえばサッカーを実際にやってみたことがある人は、見たことしかない人よりもずっと試合を楽しむことができます。自分が実際に体を動かした体験があれば、プロの選手の絶妙な体の動きに気づくことができるからです。
また絵筆をとったことのある人なら美術館に行っても、絵を描いたことのない人よりも深い鑑賞ができるでしょう。画家の筆のストローク、カンバスの布目と色の相性、構図の取り方など、普通よりもたくさんの物を見ることができるのです。
学ぶということは、自分の視野を広げてくれることなのです。幅広い分野の知識を持つことで、一つの学問に対して多角的なアプローチができるようになるのです。
将来の可能性をつぶさないで
今では詰め込み教育は良くないということで、科目も授業数も減っているということですが、これは子供が広い視野を持つチャンスをみすみすつぶしているようなものです。
授業で暗記させられた「春はあけぼの……」から、ひょっとすると古典に興味を持つかもしれない。世界史を学ぶことで、シェイクスピアの悲劇がより明確に理解できるようになるかもしれない。夏休みの自由研究が面白くて、結果として学者の道を歩むかもしれない──
義務教育ではなるべくたくさんの分野を浅く広く学ばせて、可能性の「種まき」としての教育をする方が良いと思っています。
そりゃあ宿題なんてつまんないし、授業も退屈かもしれません。でも後になって生きてくることもあるのです。ゆとり教育なんてとんでもない!
大人のあなたへの宿題
大人になって宿題の出ないみなさんに一つ提案です。
この夏、自分が苦手だなと思っていることを「天から与えられた宿題」としてやってみませんか? 「昔の日本映画なんてつまらない」と思っている人は、黒沢や小津のビデオを借りてきてとにかく10本我慢して見る。野球中継に夢中の旦那様に不満たらたらの奥様は、一度バッティングセンターに行ってみる。人見知りの男性は、10人の女性に声をかけてナンパしてみる(?)──
ばかばかしいと思っても、苦手なことを「宿題だから仕方ない」と思ってやってみると、意外に面白かったり、気づくことがあったり勉強になるかもしれませんよ。そしてやり終えたら、ご褒美として冷たいビールをぜひどうぞ!
参考文献
『日本のポスター 明治 大正 昭和 (紫紅社文庫) 』
踊る!ポスター展示館ビールやジュースのポスターを網羅。なつかしー!
追記
上のコラムに関して、こんなご質問をある方からいただきました。
たくさん賛成のご意見を頂いた中で、この方は誤解されている部分があると思い、私の考えをもう少し書きたいと思いました。
私の義務教育に関する意見は一貫して「広く浅く、多く学ぶ方が良い」というものです。
「小中学校の教育というのは、映画の予告編を見せるようなもの」だと思っています。映画をまだ見たことのない人というのは、どの映画が面白そうなのかどんな映画を見たらいいのかが分からない状態です。
そういう人には、アクション映画でも、恋愛映画でも、歴史大作でも何でもいいので、できるだけたくさんの種類の映画のダイジェストを見せて「この中で面白そうなものがあったら、映画館へでかけて本編を見てくださいね」と言えばいいのではと思うのです。
ここで言う「本編」とは、高校や大学、専門学校、カルチャーセンターなどの教育機関、または社会に出て働きながら学ぶということですね。
ゆとり教育で授業数や教科を減らすということは、映画を一度も見たことのない人を「何でもいいから好きな映画を見に行ってね」といきなり街へ放り出すようなものではないでしょうか。これは教育としてはとても無責任なことのように感じます。
上のコラムでスポーツや芸術の例を出したように、私は決して「家の中で本を読め」と言っているわけではありません。多少つまらなくても、受験に関係なくても、役に立たないと思われても、国語・算数・理科・社会に限らず、ありとあらゆることを(導入部だけ)学ぶチャンスを子どもたちに与えてほしいんです。
そうすることで多角的な物の見方、広い視野を手に入れることができますし、そこからその道のプロフェッショナルが出てくるかもしれません。また一つのことを追求する際に、少しだけでも他の勉強をしておくと、より深く物を考えられるようになるのです。
街並みや人を見させるというのも社会見学として取り入れるべきで「さあ自由に街に出て、勝手に学んでください!」と突き放すこととは分けて考えるべきでしょう。
そのためには、先生は「こんな面白いことがあるんだよ」とエンターティナーに徹して、様々な分野の学問(教科書的なことだけではありませんよ)のさわりの部分を授業でやったらいいのではと思います。
重箱の隅をつつくようなテストをするのは無意味です。それよりも、興味を持った子供たちがより深く学べるようにサポートするシステムを作るべき。授業数や科目を減らすなどとんでもないことで、そうすることは、子供が多くの興味深い事象に触れるチャンスを減らしてしまうのと同じです。
例えばスポーツで言うと、日本の体育の授業が主に球技(サッカー、バスケなど)ばかり行われるのは残念です。ひょっとしたら生徒の中には球技は苦手だけど、例えばカポエラ(ブラジルの格闘技)が向いているという子もいるかも知れませんよね。
これは極端な例としてあげましたが、例え先生が指導することができなくても、「世界にはこんなスポーツもある」とビデオや教科書で紹介することはできます。でもカポエラに今まで一度も触れることが無かった子は、その後偶然に出会わなくては才能を開花させる可能性は無くなってしまいます。
義務教育で全てを網羅することは不可能ですが、浅く、幅広い分野の教育を目指すことで、そういう才能のとりこぼしが現在よりも減るのではないでしょうか。「もっと早くにこれを知っていれば!」という大人の嘆きが少しでも減るのではないでしょうか。
「大人の人への宿題」について書いたのも、本当は面白いかもしれないのに、「食わず嫌い」でチャンスをのがしてしまうのがもったいないなと感じているからです。勉強への第一歩は遅すぎるということはありません。
幻想画廊ではフォトショップ講座というページもありますが、これはただ見てみるよりも「フォトショップって実際に触ってみると、意外に楽しいじゃない!」と、みなさんに体験してほしいからなんです。
繰り返しになりますが、私の主張する義務教育の理想は「クラスや教科、宿題を増やして浅く広く」です。
そんなわけで、土曜日を休みにして授業数や科目を減らすゆとり教育には反対なのです。
このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は20年前の、2003年07月29日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。