ぼくらは広大なファインダ画面のほんの1ピクセルにすぎない。
(ビル・アトキンスの言葉 より)
99話目・最後のギャラリー
実は今回が最後の「幻想画廊」ギャラリーの更新となります。
突然で驚かれましたか? ご存じだった方もいらっしゃるかもしれませんね。「幻想画廊」のギャラリーの画像が「99.jpg」から始まってカウントダウンしているからです。つまり今回は01.jpgですね。
このサイトを始めた時からそう決めていました。百物語のように、99話の不思議な画像とお話を集めてみたかったのです。今回は最後として「幻想画廊」を作った経緯や体験を書きたいと思います。
デジタルジャンキー
20年前に初めてコンピュータに触った時に、私の人生は決定しました。最初のマシンはSHARP X1。妹とBASICでプログラムしたゲームで遊んでいました。そして10年前にMacと出会って私のデジタル中毒は一気にひどくなりました。
インターネットに接続するようになると、子どもの頃に身につけたタッチタイピングや英語力、速読力をフルに使って、あちこちのサイトへ冒険の旅に出ました。国内外の友人と討論し、様々なサイトで腕試しをし、匿名串でアングラサイトの地底探検もしました。
若かったので恥をかいたり失敗したり、無茶なこともいっぱいしました。でも情報をつぎつぎと頭に詰め込んでも「もっと知りたい」という欲求を抑えることはできませんでした。
私たちは1ピクセル?
無数のサイトを見て回りながら、時々めまいを感じました。広大な世界とは対照的に私はあまりに小さかったからです。
アップルコンピュータの偉人ビル・アトキンスがこう言いました。
モニタ画面を構成する膨大なピクセル。私という存在は、ネットの中ではそんなちっぽけなただの「点」なのです。
いえ、「サイトを見て回るだけ」の私は、そのネットを構成する1ピクセルでさえなかったのです。いつしか「サイトを作る」ことで、そのネットの一部になりたいと願うようになりました。
幻想画廊立ち上げの苦労
2001年の7月。「幻想画廊」というサイトを立ち上げました。仕事でPhotoshopを覚える必要があったし、サイト作りを学ぶことで仕事の幅も広がると考えたのです。
最初はモデルの陳 飛龍君に被写体になってもらいました。彼は恵まれた容姿の持ち主で、演技力もあったため撮影はとても上手くいきました。私は写真についてド素人でしたが、撮り続けることで徐々に技術を身に付けました。作品を作るたびに制作時間が短縮し、画像加工の新しいテクニックを覚えてゆきました。

しかし苦労したのはサイト作りでした。HTMLやCSSなど覚えることは無限に思えました。ブラウザやOSによって見え方が全然違ってしまうから苦労しました。ときにはほんの少しのソースの間違いによって表示がめちゃめちゃに崩れたりしました。試行錯誤の毎日でした。空が白々と明けてくるまでソースをにらみつづけたこともありました。
いただいた感想メール
そんな苦労をしても最初のアクセス数は30ほど。そのうちの10は陳君、10は私自身のアクセスです。私の「幻想画廊」は誰も見ていないのかも……と思うとしょんぼりすることもありましたが、毎日新しいことを覚えていくのは楽しくて仕方ありませんでした。
サイトを管理していく上で嬉しかったのは感想のメールでした。魑魅魍魎がうごめくようなドロドロしたサイトも見てきた私は、「やめちまえ!」「下手くそ」というネガティブなメールが来ることを覚悟していました。
しかし不思議なことに今日まで、嫌な思いをしたメールが来たことはほとんどありません。それどころか「面白い」「頑張って」などの励ましのメールばかりでした。
リアル社会での逃避行
サイトを運営してきた3年弱の間、様々なことが起こりました。一番印象に残っているのが失踪事件です。去年の10月のことでした。

そのころ、私は愛するペットが亡くなってしまったり、仕事のトラブルや病気で疲れ切っていたのです。そして失踪しました。
その経緯は「逃避行」にありますので割愛しますが、その時ほどサイトを作っていて良かったと思ったことはありません。
たくさんの方から励ましのメールをいただきました。どうして他人の私に真摯なメールを書いてくれるのだろう? どうしてこんなに真剣に心配してくれるのだろう? みなさんの暖かい心に触れて、私はどれだけ癒されたことでしょう。

必ず守ってきたこと
読者の方に私が何ができるかを考えて、守ってきたことがあります。それは「メールを下さった方には必ず一度はご返事を書く」ということです。統計では「アクセス数全体の0.5~1パーセントの読者が管理人にメールを出す」と言われます。幻想画廊へのアクセス数が増えるにつれて、毎日いただくメールも増えていきました。でもどんなにたくさんのメールをいただいても、必ずお返事を書いてきました。
それは私自身がサイト管理者からご返事をいただくととても嬉しかったからです。現在は多忙のため、何度かやりとりした方にはメールを書けないこともありますが、初めて感想を下さった方へのご返事は続けています。
私自身変化したこと
「幻想画廊」を始めて私自身が変わったこともたくさんあります。技術力が上がって仕事に役立ったこと、サイトを通して新しく仕事をいただいたこともありますが、私自身の情報への接し方が一番変わったことだと思います。
「次回のコラムに書けるのでは」と、これまで興味のなかった分野の書物も手に取るようになりました。メモをとったり考えをまとめながら本を読んだりサイトを見て回るので、私自身の情報処理能力がかなり向上した気がします。能動的に情報に接するからか、記憶力も格段にアップしました。
毎回のコラムのために最低でも5冊の本と20のウェブサイトを読むようにしていました。偏見や情報の間違いを減らすために、反対の立場から書かれた文章も読みました。それでも間違えてしまうところが修行が足りないのですが、これからも勉強は続けたいと思っています。
思い入れのあるサイト
「幻想画廊」は様々なものを私にもたらしてくれました。他にもたくさんのサイトを作りましたが、「幻想画廊」は思い入れもあるので、ギャラリーとコラムがこれで終了となると、寂しい気持ちになります。
でも一冊の本を書き上げたような充実感も心に満ちています。よく99回を最後まで投げ出さずに描いて(書いて)きたものだと思います。よくやった、自分!
また会う日まで
「ぼくらは広大なファインダ画面のほんの1ピクセルにすぎない」
確かにその通り。数百万アクセスぐらいのサイトはネットにごろごろ転がっています。私の「幻想画廊」もただの1ピクセルかもしれません。
でも画像加工をやってきた私はよく知っています。たった1ピクセルがなかったら、ギャラリーの絵はだいなし。「幻想画廊」を訪れた皆様の、何かのお役に立ったなら、十分その意義はあったと思います。
ありがとう皆様。感謝しています。そして最後のご挨拶は「Adios(さようなら)」でなく「Hasta la vista(また会おう)」で。
Hasta la vista!
このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は19年前の、2004年05月11日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。