【花魁(おいらん)】江戸庶民のあこがれ、高級遊女・花魁とは?

三千世界の烏を殺し ぬしと朝寝がしてみたい。

(高杉晋作が作った都々逸 より)

カラスは気の毒ですが

「明け方に鳴くカラスが全部いなくなれば、いつまでも一緒にいられるのになあ」という艶っぽい唄ですね。今回は吉原の遊女花魁(おいらん)のお話です。真っ赤な髪の麻理亜太夫(まりあだゆう)に扮してみました。

この唄は別の解釈もありまして、「熊野神社に誓った他の相手との約束を破らせて、おまえを独り占めにしたい」という意味もあるそうです。

これは男女の約束を守らないと、熊野神社のお使いのカラスが3羽死ぬと言われていたからなんですね。でも人気の傾城(けいせい) というのはたくさんのお客さんと男女の誓いをしますから、なかなか独占はできなかったようで。

遊女・花魁・太夫・傾城

さて、私は上の文で「花魁」「遊女」「太夫(たゆう)」「傾城」と4つの言葉をわざと使ってみました。この違いについてご説明しましょう。

遊女」は遊郭で働く女郎さん一般のことです。「太夫」はもともと上方で使われていた最高級の遊女の格です。

花魁」は遊女の中では一番ランクが高く、江戸に吉原ができたときに、見習いの少女が太夫のことを「おいらんちの姉さん」と言ったのが起源といわれています。花魁はいわゆる呼び名であって、遊女の最高位の格を太夫といいます。

傾城」は「城、つまり国が傾き滅びてしまうほどの魅力を持った美女」という意味から、高級な遊女を指しました。おおまかには「花魁」「太夫」「傾城」は同じレベルの高級遊女と考えてもいいでしょう。

男は一度……?

江戸に初めて幕府公認の(くるわ:遊女の働くお店)ができたのが1617年。最初は今の人形町のあたりにあったのですが、1656年に現在の浅草に移ってからは、3万坪もある一大歓楽街になりました。

男は一度伊勢と吉原」という言葉があるように、男性は一生に一度はお伊勢さん参りと吉原へ遊びに行きたいものだと思っていたようです。

吉原で遊ぶ料金

遊女にはランクがあり、下は「局女郎」と言って1000円から2000円程度の料金。上は江戸後期で一人約10万円ぐらいかかりました。

では10万円(金一両一分)握りしめて吉原へ行けば、高級遊女と遊べるかと言えば、そうは問屋が卸しません。花魁一人だけではなくマネージャーである番頭新造、妹分の女郎さんたちや音楽など奏でる芸者さん連中、下働きの男性のたいこもち数人、料理番や船頭さんなどなどたくさんのスタッフを呼びます。それぞれにお金がかかるんです。

ケチケチしていては花魁に嫌われてしまいますから、大盤振る舞いしなくてはいけません。そのため吉原で遊ぶと、今のお金で言えば数百万円が一晩ですっとんでいきました。

吉原のルール

またお金さえ持っていればいいのかというと、決してそうではありません。吉原には独特なルールがありまして、お客さんはそのルールをきっちり守らねばなりませんでした。

初日には何時間も待って、芸者やたいこもちの芸を見て過ごします。やっと花魁がやってきても遠く離れた場所に座り、客と目を合わせません。もちろん一言も口をきいてくれません。

2回目、3回目と通っても少し会話したり、お酒を飲んだりするだけ。しかも人気のある遊女は他になじみの客がいますから、なかなか長時間座敷にいてくれないのです。

好きな遊女を待って、待って、待ちこがれて──やっと床を共にするまでかなりの忍耐力と資金が必要でした。

遊女のテクニック

しかし実はお客の方はお金をぱあっと使い、しきたりを守ることが楽しみだったのです。手っ取り早く花魁と共寝したいと焦るのはヤボなこと。吉原というと現代でも風俗産業で有名ですが、江戸時代の吉原は、現在とかなりイメージが違いますね。

遊女も手練手管(てれんてくだ)といって、お客に嘘をついたり、他の客に嫉妬させたり、気を持たせたり──とあらゆる手を使って「男の理想の女」を演じます。

当時吉原のガイドブックであり遊女の名簿録である『吉原細見』がベストセラーでしたから、有名な遊女は今で言う芸能人みたいなものでした。

一般庶民はそんな高級遊女に会うことは叶いませんでしたが、花魁がモデルになった浮世絵を見たり、うわさ話をしたり、人気の遊女について書かれた本を読んだりして楽しんでいたようです。

花魁になるには

一流の遊女になるためには大変な努力が必要でした。7、8歳のころから14、5歳までに徹底的に教養を仕込まれます。和歌、古典、お茶、生け花、お三味線、お琴などなど。

花魁の着物やかんざし、座敷の家具調度品は輸入物など贅を尽くした一級品ばかりでした。しかしこれらを手に入れるまでの道は相当険しいものでした。遊女は数千人いましたが、最高位の太夫にはたった数名しかなれなかったからです。

私もフォトショップの合成で、見てくれだけは花魁になれましたが、こんなに勉強しなくてはならないのでは現実にはとても無理そうです。

幕末になってこの絢爛豪華な吉原文化は衰退してゆきました。吉原の中で作られ、理想の女を演じ続けた花魁も今ではゆめまぼろしとなっています。

参考文献

『江戸へようこそ』杉浦 日向子

漫画化でもあり、江戸風俗研究家の杉浦日向子さん。NHKの『お江戸でござる』の解説でも有名ですね。著名人との対談やマンガも入ってお得な一冊。

おいらん道中 ※リンク切れ

新潟県の分水町で行われるというお祭り。花魁道中の華やかな様子が分かります。

第73回分水おいらん道中(新潟県燕市分水地区)

このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は15年前の、2003年12月30日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。

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