【着物】着物に魅せられた女(ミニ小説・フィクション)

着物は愛する男はんに見てもらうために着るんです。

(『玉緒の「着物」の喜び』中村玉緒 より)

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虫干しの日

麻理が初めて着物に触れたのは、ようやく物心がつき始めた頃だった。麻理の母親は娘の時分からたいへんな着道楽で、桐の箪笥四棹と行李にみっちりと詰まった着物が自慢だった。

母親は年に何回か、からりと晴れた日に着物を壁一面に吊し虫干しをした。麻理はその光景をはっきりと覚えていた。色とりどりの着物は風が吹く度に八掛(はっかけ)をひるがえし、生きているように揺らめいた。麻理は部屋の真ん中に座ってそれを眺めるのが好きだった。

日本の色

麻理は母親やそのまた母親、つまり麻理の祖母が持っていた抜けるような肌の白さを受け継いでいなかった。母親は「この子は可愛らしいべべは似合わへんかも」と内心残念に思っていた。しかし麻理が着物に目を輝かせるのを見て、着物を着る度虫干しの度、呉服屋が大きな風呂敷包みを下げて家に訪れる度に、着物のあれこれを話して聞かせた。

この色は鴇色(ときいろ) 、これは萌黄(もえぎ)、こっちは水浅葱(みずあさぎ)。この模様は青海波(せいがいは)、これは麻の葉で、観世水──麻理は日本の美しい色や模様の数々を母から教わった。なんて綺麗なんやろう! 麻理は呪文のような母の言葉を聞きながら、着物の美しさに酔った。

飽きない玩具

母が「この帯と着物はあの歌舞伎の演目にかけてあるんや」と言うと、歌舞伎に連れて行ってくれとせがみ、図書館へ本を探しに行った。

たくさんの小唄に着物が唄われているのを知ると、小唄のお師匠さんの元へと通い、恋の唄を口ずさんだ。茶道、華道、和裁、歴史と、まだ若く好奇心旺盛な麻理は砂が水を吸うように知識を蓄え、次々と世界を広げていった。

同級生は着物に夢中になっている麻理を「えー、着物なんかややこしいし、よう分からへんわ」と笑った。麻理は「着物はややこしいから面白いんやんか。すぐ犯人が分かる推理小説なんか面白ないやろ。子供用のジグソーパズルなんかすぐできてしもて楽しないやろ」と反論した。子供の頃の麻理にとって着物は飽きない玩具であった。

W氏との会食

麻理が大学生の頃だった。T大学で脳の研究をしているスイス人の学者W氏と知り合い夕食にでかけたことがあった。日本文化に興味のあるW氏は麻理に次々と質問を浴びせた。思いも寄らぬ質問もあったが、日本を外側から見た視点の面白さは麻理の好奇心も刺激し、楽しい会食であった。

W氏は言った。

「着物の美意識というのは面白いね。ただ、納得できないところがひとつある。着物というのは男にとって都合のいいものだね。ちらちらと肌が露出しているところがあるし、男が着物のすき間から手を差し込むのは容易だ。女の動作を不自由にするし、美しくあることを押しつけている」

「たしかにそうですね。でも歌舞伎の女形など見ても、着物は女性が最大限美しく可愛らしく見えることを目的に、先人が情熱を燃やしてきたことはご存じでしょう? 女性は知識だけでなく『男性に可愛がられたい』『誰よりも美しくなりたい』という心も持っていなければ、着物の本質を理解することはできません」

「着物は纏足(てんそく)のようなものだよ。君が普段言っているフェミニズムの考えとはまったく矛盾しているんじゃないかな?」

宗教と科学

真面目で知的好奇心旺盛な西洋人はよく麻理にこういう質問をした。麻理はこの手の質問には慣れていた。

「では先生は矛盾は良くないとお思いですか?」

「謎を解明し矛盾をなくすのが研究者の仕事だからね」

水を一口飲んで麻理は言った。

「先生は脳の研究者ですね。先日お話ししたときに『研究を突き詰めれば突き詰めるほど、その精密さに神の御業を見る』とおっしゃいましたね」

「僕はキリスト教徒だからね。脳の仕組みは奇跡だよ。医学だって、宇宙物理学だって、究極は神の存在について考えなくてはならなくなるものだ」

「では先生は科学の徒であるのに、キリストが水をワインに変えたとか、水の上を歩いたとか、復活したということを信じておられるわけですね。科学者として矛盾しませんか?」

「……」

矛盾の楽しみ

「そんな困ったお顔をしないでください。キリスト教徒が主の奇跡を信じるのは何もおかしくありませんよ。でも矛盾する複数の心を持つことは楽しいことです。たくさんの絵の具を持っていれば、それだけたくさんの色を作ることができます。一色しか持っていないのは色の深みがなくて面白くないのと同じです。ついでに言うなら、脳の中に神がいることは研究者でなくても、日本人なら誰だって知っています」

「どういうことかね?」

「脳に張り巡らされた無数の神経……漢字で「神の通る道」と書くのです。ニューロンを神経伝達物質が通り抜ける度に神の姿を見るのは当たり前です」

W氏の苦笑いを見て麻理も微笑んだ。

華麗なゲーム

麻理はとりわけ家に伝わる昔の着物が好きだった。曾祖母が図案を考え、祖母が機を織り、母が染め直した着物に袖を通すとき、ぞくぞくするような心の高揚を感じた。

これは女の業なのだ。着物という業なのだ。

着物とは女のみが参加できる華麗なゲームであり、知の冒険だった。女と生まれたからにはその極限にたどり着きたい。麻理は着物を着る度に、美を競うという興奮に心を躍らせた一族の女達の鼓動を、確かに感じた。

参考文献

『玉緒の「着物」の喜び』中村玉緒

正直言って、読む前は『どうせタレント本』と思っていたのです。おそらくゴーストライタが書いたものでしょうが、非常に玉緒さんらしい文章で、また着物に対する深い愛が感じられる素敵な本でした。ちなみに私は勝新のディナーショーに行ったことがあります。超格好良かったです~!

このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は17年前の、2002年08月13日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。

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