『一緒に月へ行こう』ジムがそういったのを この時すでに チャイナさんはわすれていました
(『スピリットオブワンダー』鶴田謙二 より)
電球を変えて、さあ読書!
月明かりで読書するには、もっと明るくなくちゃ。三日月のライトを満月のライトに変えているところです。月夜の読書なんてロマンチックですよね。
小さい頃不思議だったことがあります。それは同じ遊びをしていてもすぐに飽きてしまう子と、毎日夢中になって遊び続ける子がいるということでした。同じゲームなのに、どうして感じ方が人によって違うんだろう? 100%面白い遊び、100%つまらない遊びというものはないんだろうか?
不思議さに驚く感性
その疑問が解けたのはある言葉を知った時でした。それはセンス・オブ・ワンダー(Sense of wonder)。SFを表現するときによく使われる言葉で、様々な解釈がありますが「不思議さに驚く感性」といった意味です。私自身はこれを「面白がる能力」と訳しています。
最近はSFに「ごく限られた人たちのもの」というイメージがあることと、センスオブワンダーを定義しようとするマニアの間で議論が起こってしまったりして、どうもネガティブな語感があるのですが、もともとセンス・オブ・ワンダーはワクワクするような素敵な言葉なんですよ。
センスオブワンダーの天才達
「不思議さに驚く感性」は人によってかなり開きがあります。たとえば博覧強記の知の巨人立花隆や、博物学の天才荒俣宏、B級雑学のコレクター唐沢俊一、古今東西のマジック研究者松田道弘──。皆さん並はずれてセンス・オブ・ワンダーが優れているといえます。
彼らにかかればどんな平凡に見えるモノでも、たちまち興味深いモノに変化します。それはそのモノ以上に「彼ら自身が面白い」からです。
子供の時のワクワク感
しかし彼ら以上のセンスオブワンダーの天才がいます。それは「幼児」です。子供はアリの行列を見ても、粘土を与えられても、流れる雲を見ても、何にでも驚くことができます。私たちは昔誰でもこの感覚を持っていたのに、いつのまにかどこかへセンス・オブ・ワンダーを忘れてきてしまったのです。
冒頭に書いた、昔の私が感じた疑問に関する答えは「絶対的に面白いモノもなければ、絶対的につまらないモノもない」です。モノはただそこに変わらないままあるだけ。私たちが持つセンス・オブ・ワンダーの才能だけ面白がることができるのです。
つまらないのは、誰のせい?
では不思議がる感覚を取り戻したり、面白がる才能を伸ばすにはどうしたらいいのでしょう? それは他者に向けていた批判のベクトルを180度回転して、自分に向けるだけでいいのです。
「つまらない」と批判することは簡単です。なぜなら自分は一歩もそこから動かなくていいからです。一言言って、はいおしまい。何も変わりません。
「面白いことがない」「仕事がつまらない」「いい女(男)がいない」「本も映画もテレビも、なんにも楽しくない」──
本当にそうだろうか? 実はつまらないのは、そのモノの面白さを引き出すことができない自分ではないのか? では、どうやったらそれを面白くできるのか? そんなふうに考え方を変えるだけで、センス・オブ・ワンダーを再び感じることができるようになるはずです。
この世はセンスオブワンダーで満ちている
初めて自転車に乗れるようになった時のこと、夜空の星座の名前を一つ覚えた時のこと、好きなクラスメートから話しかけられた時のこと、一人で電車に乗って遠くへ行ったときのこと──。
昔感じたドキドキ、ワクワクの感覚を思い出してください。わざわざ海外旅行に行かなくても、お金をたくさん使わなくても、世界は驚異に満ちています。
想像力一つあればできる心の冒険、それがセンス・オブ・ワンダー。
さあ、一緒に驚きの世界への旅に出ましょう!
参考文献
『スピリット オブ ワンダー』鶴田 謙二
とにかく寡作。全然描いてくれません。でも熱狂的なファンが彼の作品を気長に待ち続けています。ノスタルジックでわくわくするようなSF感と、キュートな女の子の絵が良いのです。なんとか10年以内に次の単行本が読めるといいいなあ。
このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は20年前の、2003年04月01日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。