【ロボット2 】明治時代のロボット「学天則」に込められた願い

人造人間は科学と芸術の交流によつて成り出ねばならない

(『大地のはらわた』西村真琴 より)

Mac OS内臓のロボット?

昨日04月07日は鉄腕アトムの誕生日でしたね。アトムの未来が実現していたらこんな新型Macintoshが発売されていてもいいはず。ユーザフレンドリーがモットーのAppleですから、初心者の方でも大丈夫。手取り足取りマシンが操作方法を教えてくれますよ。

日本初の人造人間・学天則

アトムにちなんで何か現代のロボットものをと思ったのですが、他のサイトでもさんざんやっていますし、以前幻想画廊のギャラリーでも解説しましたから、今回は昔のロボットをご紹介しましょう。

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まずこの全目的ロボットの完成を急ごう。人間のできることなら、なんでもできるロボットだ。(『夏への扉』ロバート・A・ハインライン より)
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日本で最初のロボット(人造人間)の名は「学天則」。昭和3年(1928年)に、西村真琴博士によって作られました。

西村真琴博士の活躍

西村博士は1883年(明治16年)長野県松本市に生まれました。広島師範学校を卒業後に中国大陸へわたり、校長先生として教育の仕事のかたわら生物調査研究に明け暮れました。その後アメリカへ留学して生物学を究め、北海道大学の教授になりました。東京大学から理学博士を授与されたこともあり、生物学者として成功を収めた人物です。

その後1927年に、大阪毎日新聞社に入社した西村博士は、京都で開かれた昭和天皇御大礼記念博覧会に「学天則」を出品したところ大変な注目を浴びました。

人間らしいロボット

天則に学ぶ」から名前をとっているだけあって、学天則は自然や人間らしさを表現することを目的としていました。表面には血管のように空気のチューブが張り巡らせてあって、空気の圧力でピストンを動かすことで、表情を豊かに変えたり手に持ったペンを動かしたりしたそうです。

学天則はある特定の人種の顔ではなく、あらゆる人種から顔のパーツを組み合わせてデザインされています。額と目がヨーロッパ人、ほおと耳がアジア人、鼻と口がアフリカ人、髪型がインディアンの羽飾りを表しています。黄金に光り輝く学天則は公開された時、その神々しさに思わず人々がおがんでしまったというエピソードもあるんですよ。

早すぎた天才

西村博士は学天則に「世界の平和」「人類の友好」「科学の暴走の危険性」「芸術と科学の融合」など様々なメッセージを込めました。性別も、人種も、国籍もないロボットを作ることで、人類に警告を発したのです。

しかし学天則はやんやの喝采を浴びたものの、見世物的に受け入れられただけだったようです。残念ながら西村博士の想いは大衆に正確には伝わっていませんでした。西村博士は早すぎた天才だったのです。

ロボット大国になったけど……

現代でこそAIBOやASIMOなど「人間の友としてのロボット」が研究されていますが、70年以上も前に学天則のようなコンセプトでロボット開発をした人がいるというのはまったく驚きです。

現在日本はロボット大国になりましたが、西村博士の夢見た世界平和に貢献できているでしょうか? 2003年04月07日に目覚めることがなかったアトムは、本当に平和な世界が実現したときに誕生するのかも知れません。

大阪市立科学館で再現された学天即

学天則はドイツへ渡った後行方不明になってしまいましたが、レプリカが大阪市立科学館に所蔵されています。内部の構造は模していないので動きませんが、同科学館のシアターでは学天則の動きを再現したフィルムを見ることができます。お近くの方は行ってみてはいかがでしょう?

『帝都物語』で会いましょう

大阪までは遠すぎるという方は、ビデオ屋さんへ。実は西村真琴は時代劇ドラマ『水戸黄門』の黄門さまの役で有名な、俳優西村晃のお父さんなんです。荒俣宏原作の映画『帝都物語』には、西村博士の役を息子の西村晃が演じて、ロボット学天則と共に出演していますよ。帝都を守るために戦う学天則に、アトムの姿が重なるのは私だけではないでしょう。

参考文献

『大東亜科学綺譚』荒俣 宏

明治から昭和初期の天才科学者(マッドサイエンティスト?)を紹介しています。古き良き時代の夢と希望とWonderにあふれた科学者たち。彼らは奇人かもしれませんが、現代の科学者も見習ってほしい情熱と個性があります。奇才荒俣氏の筆も絶好調! 学天則と西村博士についてはぜひこちらを参考に。

このブログは2001年07月23日開設のサイト「幻想画廊」を2019年にWordpressで移築したものです。この記事は20年前の、2003年04月08日(火)に書かれました。文章の内容を変えずにそのまま転載してあります。リンク切れなど不備もありますが、どうぞご了承くださいませ。

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