【バレンタイン】図書室の君とバレンタイン(ミニ小説・フィクション)

ある意味で、どうやら自分の人生を再び生きているように見える。あたかもビデオテープのようにそれを再生(リプレイ)しているみたいに。

(『リプレイ』ケン・グリムウッド より)

1

「あのっ。バレンタインのチョコです。良かったら食べてください」

Kは2人組の女生徒を見上げた。図書室にいた全員──といっても5、6人だが──が声の方向を振り向いた。うち1人はブルーの包装紙でラッピングされた包みを胸の前で抱えている。

Kは包みと女生徒を交互に見つめた後「どうも」と包みを受け取った。図書室の生徒たちはまた視線を本に戻し、何事もなかったように本の続きを読み始めた。2人の女子は上気した顔で「ホラ、手紙渡さないと」「あっ。あの、先輩。手紙も読んでください!」「チョコ、この子が自分で作ったんですよ」と言い合っていた。Kはきまりの悪そうな顔をしてそのやりとりを聞いている。

2

「ちょっと、そこ静かにしてもらえますか? 図書室なので」

麻理は受け付けカウンターの中から注意した。2人はびくりと体を震わせて麻理を見た。

事務的に言おうとしたのについ口調がきつくなってしまった。2人はすみませんでしたと頭を下げドアから出て行った。小鳥のさえずるような話し声が遠ざかってゆく。あーあ、我ながら嫌な女だ。麻理は自己嫌悪に陥った。

3

麻理の通う高校には図書室の他に学習室があり、勉強する生徒は学習室を使うことになっていた。だから図書室はいつもすいていた。図書委員は貸し出し手続きをする他はじっと受付カウンターに座っていなくてはならないので、なかなかなり手がいなかった。しかし麻理は自ら図書委員に立候補し、図書委員長になった。

図書室には独特の匂いがある。紙と埃がまじったような匂い。麻理は図書室に入るたびに懐かしいような気持ちになった。たくさんの本に囲まれ、新刊図書を真っ先に読める図書委員の仕事が好きだった。今日は当番だったので麻理は受付カウンターに座り、膝の上に横溝正史の『本陣殺人事件』を広げていた。

4

だがせっかくの名作ミステリなのに、麻理は上の空で同じページを何度も繰り返し読んでいた。入り口近くの席にKが座っていたからだ。

Kは文系の学生で、理系の麻理とは別のクラスだった。図書室でKを見かけるようになってから、麻理はKのことがなんとなく気になっていた。貸し出しカードをこっそり見て、Kの学籍番号と名前を暗記した。何度もカードを見るうちに筆跡まで覚えてしまった。

5

Kはいつも文庫本を読んでいた。どうやらSFが好きらしかった。ジョン・ウィンダムやフレドリック・ブラウンを手に、時々メガネを中指で上げるのがKの癖だった。

今Kが読んでいるのはケン・グリムウッドの『リプレイ』。確か中年の男が知識や記憶を持ったまま大学生時代にタイムスリップして、別の人生を生きる話だったっけ。もう一度人生をやり直せたらと思うことはあるけど、タイムスリップしてまた中間テストを受け直すはめになるのはごめんだ。麻理は肩をすくめた。

6

麻理はさっきの下級生とKのことを考えた。

やっぱりモテるんだろうな、下級生の女の子からチョコをもらうくらいだし。まるで綿菓子のような女の子だった。パステルカラーで描かれたようなかわいい女の子。麻理とは正反対のタイプだった。

麻理はカウンターの下のチョコの包みを、カバンの中にそっとしまった。

やっぱりやめておこう。こういうのは似合わない。麻理は同級生だけでなく、先生にまで「委員長」と呼ばれていた。自分は「変わり者の本の虫」だと自覚していた。

7

下校時刻が近づいて生徒たちが受付カウンターへ並んだ。麻理が貸し出しカードに次々スタンプを押しているうちに、Kの姿は消えていた。

全員が退室した後、麻理は戸締まりを始めた。誰もいなくなると冬の図書室はいっそう寒く感じる。チョコレートは家に帰ってから自分で食べてしまおう。暖かいコーヒーとチョコを味わいながら、ミステリの続きを読むことを考えると少し心が温まった。

麻理はKの座っていた椅子の上に文庫本が載っているのに気づいた。『リプレイ』。Kが読んでいたものだった。図書番号シールがついていないので、K個人のものかもしれない。カウンターに置いておけばいつか取りに来るだろうと手に取った。

8

突然図書室の扉が開いた。

「すみません。まだ開いてますよね。忘れ物しちゃって」

Kだった。

「あ、それ僕のです。その小説」

Kはメガネを上げながら、麻理の持っていた文庫本を指さした。

2度目のチャンスに心臓はバクバクいい始めた。チョコレートはカバンの中。Kが怪訝な顔をし始める前に何か話しかけなくては。

麻理は『リプレイ』の表紙に視線を落とした。

参考文献

『リプレイ』ケン・グリムウッド 杉山 高之訳

心臓発作で48歳で亡くなった主人公は、気がつくと23歳の青年になっていた! タイムスリップした彼は何度も人生をやり直すことになります。昔に戻れたらという、誰もが持っている願望を描いたSFの傑作。あなたならいつの時代に戻りたいですか?

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男性の方は3月14日までに読んでみましょう!

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